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シルバーハイツ札幌 羊ヶ丘だより

羊ヶ丘だより第83号 2017年10月25日発行

夏祭り 1・2番館 フロント 中目 美代子
 7月22日(土)、1・2番館の大きなイベント「夏まつり」を開催致しました。
 当日は、入居者様の日頃のカラオケサークル等で鍛えた歌声で始まり、3番館職員による盆踊り、1・2番館職員によるカラオケと踊りで、会場は笑顔と拍手で大いに盛り上がりました。
 その他、ラムネ早飲み大会では、入居者様の飛び入り参加もあり、熱い戦いとなりました。
 その他、サマージャンボ宝くじ、登別カルルス温泉から直送の足湯体験コーナーなどがあり、入居者様のご家族の小さなお子様達には綿あめ作り体験コーナーがとても好評でした。
 今回は新しい取り組みもありましたが、入居者様のたくさんの笑顔と拍手で大盛況のうちに終えることができたと思います。
オタフクソース お好み焼き昼食会 1・2番館 総務係長 川南 大士
 9月5日(火)、オタフクソースによるお好み焼き実演昼食会が開催されました。
 特製の粉とキャベツ等が混じり合った具材が鉄板で焼ける匂いで、『露店に来たみたいだね』と入居者様からの感想もありました。
 特製の焼そば、飲み物はビールやノンアルコールビール、ジンジャーエールが提供され、更に露店のような雰囲気が増し、楽しい昼食会となりました。
 『キャベツが甘くてシャキシャキしていて美味しいね』、『お好み焼きの生地が美味しい』との入居者様からの声がありましたが、オタフクソースの方に伺うと、生地の中には色々な出汁や、イカ天の天かす、山芋などが入っているそうです。
 今後も様々な企画に取り組んでいきたいと思います。
機能訓練の取り組みについて 1・2番館 機能訓練指導員
  • 言語聴覚士 浅石 建二朗
  • 柔道整復師 遠藤 彩加
 1・2番館では今年の5月から機能訓練が充実され、毎週3回、午前中に集団リハビリを行っています。入居者様同士で交流し合いながら、全員で声を出して数を数えながら筋トレや言葉の体操に楽しく取り組んでいます。
 更に個別リハビリでは、『ふまねっと運動』と言う身体と頭を使う歩行訓練等を実施しています。『ふまねっと運動』は、入居者様の状態に合わせて難易度を変えて、できた時の達成感や喜びを感じて頂けるように取り組んでいます。
 他には、食事前の嚥下体操やマッサージ、むせ込みが見られる方には嚥下機能の評価を行い、最適な食事の形態や食器・姿勢等をアドバイスしています。
 今後も、入居者皆様がホーム内での機能訓練を楽しみながら継続して行けるよう取り組んでいきたいと思っております。
敬老会・9月お誕生会 1・2番館 フロント 橋本 めぐみ
 去る9月18日(月)、レストラン味彩にて「敬老会・9月お誕生会」が行われました。今年、賀寿にあたる8名の入居者様をはじめたくさんの入居者皆様が参加されました。
 はじめに賀寿者様へ御祝品と花束の贈呈、9月お誕生月の方々へ御祝品の贈呈があり、皆様素敵な笑顔で喜ばれているご様子でした。乾杯の後には、旬の食材を使用した色彩豊かな祝膳を楽しまれ、テーブルでの会話もはずまれていたようです。
 その後、ボランティアで来館頂いたキューピー村上氏による「ジャグリングショー」が始まり、愉快な動きで色々な物をお手玉のように操る様子と、快く飛び入り参加して盛り上がって下さった入居者皆様に大きな拍手が送られました。
 入居者皆様にとって思い出に残る楽しい敬老の日となれば大変嬉しく思います。
菖蒲園散策 3番館 ヘルパー 日下部 由紀子
 7月に入居者皆様と菖蒲園の散策に行きました。
 園に入ると、色とりどりの菖蒲が咲き誇り、私たちの目を楽しませてくれました。
 散策に行った日は、日差しがとても強く、日陰を探しながら散歩をしていました。奥に進むと、ラベンダー畑があり、そこに丁度良い木陰とベンチがあったので休憩をしていると心地良い風が吹いてきました。参加いただいた入居者様からは「いい風だね」「いい気分だよ」との言葉をいただき、笑顔いっぱいで喜んでいただけました。
 入居者皆様だけでなく職員もとても楽しい時間を過ごす事が出来ました。
盆踊り 3番館 ヘルパー 徳田 美幸
 7月28日(金)にお誕生会が行なわれました。
 その中で毎年恒例となっている職員による盆踊りを披露させていただきました。曲は「北海盆唄」・「東京音頭」、そして橋幸夫さんの「花火音頭」の3曲でした。
 浴衣姿で会場後方より登場し、踊りながら正面へと移動していきます。その中で、入居者皆様から笑顔や手拍子、そしてあたたかい声がけをいただき、参加した職員も楽しむことが出来ました。
沖縄三線(さんしん)かりゆし ロビーコンサート 3番館 総務 千葉 美加
 8月18日(金)のお誕生会に沖縄三線かりゆしケアーズ様によるロビーコンサートが開催されました。
 4名の方にお越し頂き、「涙そうそう」や、「ハイサイおじさん」など、1度は耳にした事のある沖縄らしい三線の演奏と歌声を披露して頂きました。
 プロジェクターを使用して歌詞を表示してくださったり、沖縄の地図で説明を交えて演奏をして下さったり、入居者皆様も手拍子をして楽しまれていらっしゃいました。
 また、5歳の男の子の可愛らしいドラム演奏もあり、和やかな雰囲気で入居者皆様と楽しい時間を過ごす事が出来ました。
敬老会・9月お誕生会 3番館 総務 西村 高大
 9月18日(月)に敬老会・9月お誕生会を開催いたしました。
 今年はロビーコンサートとしてテーマパークダンスサークル「ブロッサム」の皆様にパフォーマンスをご披露いただきました。
 お子様を中心としたパフォーマンスでとても和やかな雰囲気で進行していきました。終盤にはお子様達が賀寿者と、9月誕生月の入居者様に手作りのプレゼントをお渡しいただくサプライズもありました。
 ロビーコンサート終了後には3階の食堂でお食事会を楽しみ、毎年恒例となりました入居者皆様へのお花のプレゼントを行いました。
 施設長からの挨拶にもありましたが、人生の先輩である入居者皆様が礎を築き上げていただいたおかげで現在の私たちが豊かな生活を送ることが出来ています。その事に感謝すると同時にこの豊かな暮らしを次の世代にも受け継いでいけるよう努力をしていきたいと思います。
 夏祭り 中島公園 総務 泉澤 由希子
 8月9日(水)一般棟レストランにて夏祭りが開催されました。
 お祭り会場は、大うちわや提灯で飾り付けられ、賑やかな音楽に合わせて法被や浴衣を着た職員がお出迎えしました。一般棟の入居者皆様と介護棟の入居者皆様に参加して頂き、綿あめ・金魚すくい・ヨーヨー釣りなどを用意し、「久しぶりに綿あめを食べるとおいしいね」と笑顔溢れる入居者様もいらっしゃいました。
 駐車場では、焼き物の実演もありましたが、あいにくの曇り空で小雨が降りそうだったので、レストランの中での食事となりましたが、美味しそうに召し上がっていらっしゃいました。当日券の販売では、イカ焼きが人気でビールと合わせて楽しまれる方や三種類の味から選べるアイスクリームを追加購入している方もいらっしゃいました。
 お祭りの雰囲気も最高潮を迎えたところで施設長を含めた職員8名によるラムネの早飲み大会が行われました。ご家族様4名にも飛び入りでご参加頂き、会場は大変盛り上がりました。
 終盤に入り、全員が参加したビンゴ大会では、番号が読み上げられるたびにレストラン会場全体が歓声に沸きました。景品も好きなものを選ぶことができ、当選された方はどれにしようかと悩んでいるようでしたが、皆様大変喜ばれていらっしゃいました。
 来年も入居者様の思い出に残るような夏祭りにしていきたいと思っています。
2017年6月にご逝去された中島公園介護棟入居者様のご家族様より心温まるお手紙をいただきました。
ご家族様の了承を得て、原文のままご紹介させていただきます。

平成29年7月13日

シルバーハイツ中島公園の皆様

 母 岡本テルが大変お世話になり、ありがとうございました。
 皆様一人ひとりにお会いしてお礼を申し上げたいのですが、ままならず、この礼状にて替えさせていただきたく思います。
 母は入居当初から大腸癌を患っており、何ヶ月ここで過ごす事ができるだろうかと不安に思っておりましたが、皆さまの温かいお心遣いとケアのお陰で1年5ヶ月の日々を送る事が出来ました。
 今回、私が数度部屋に立ち寄った時に幾人かの皆様とたまたまお会いしました。
 その折、多くの方から「テルさん 居なくて寂しい。」「好きでしたよ。」「皆に愛されていましたよ。」等と心からの言葉をかけて頂きました。
 短期間ではあったけれど、ここシルバーハイツには、寝ているだけの生活ではなく母の暮らしそのものがあったのですね。嬉しくて涙が出ました。
 母も「この人がこうしてくれた。」「ああして貰えた。」等と嬉しい気持ちをよく話しておりました。
 病状が進み、我がままも言ったでしょうに、心より感謝申し上げます。
 亡くなって日も浅く、気持ちの整理はつきませんが、シルバーハイツで最晩年に丁寧に接していただけた事が、私の心の安らぎとなっております。
 又、お忙しいにもかかわらず、入院中のお見舞いや葬儀の際のご焼香・供花など度々のお心遣い、誠に有難うございました。
 シルバーハイツの皆様お一人ひとりのご健康とご活躍、並びに貴施設の更なるご発展を心より願っております。本当に有難うございました。

札幌市北区

霜 觸 雅 子


ご家族様から頂いた「ふくろうの楯」
フロントに飾っています
 岡本テル様と職員とのエピソードをいくつかご紹介いたします。
 職員が夜勤の時にお部屋にご挨拶に伺うと、職員の手を握り満面の笑顔で『よろしくね』と仰っていたお姿や、病院受診の際には『明日病院なんだ、時間が掛かって嫌だけど、頑張らないとね。』と気丈な一面も印象に残っております。
 また、娘さんの自慢話も良くされていたとも聞いております。『もう疲れたと思う時もあるけど、娘たちが一生懸命してくれるから頑張って生きないといけないんだよ』と笑いながらお話しされていたことがありました。
 母としていつもお子様の事を思い、人としていつも周りを明るくしてくれた岡本テル様。思い返しますと、逆に私たちに元気を与えてくれていたように思います。
 お手紙に書かれていた一言一言が職員の励みにもなり力になります。これからもシルバーハイツ中島公園の入居者様が安心して暮らしていけます様、職員一同精進して参ります。
渡守その後〜名橋 豊平橋

※上記、昔の写真は札幌市公文書館所蔵

 豊平川にまだ橋が架かっていなかった頃、豊平川の両岸に志村鉄一と吉田茂八が住み、人々を丸木舟に乗せて渡していた(羊ヶ丘だより81号82号)。その後、豊平川を渡る人々が急増したため、時代は渡守から橋に代わる。豊平川には木橋が架けられ、渡りやすくなったものの、暴れ川といわれた豊平川は頻繁に氾濫し、その度に架け替えた木橋を、幾度となく押し流した。
 1897(明治30)年、道庁はいよいよ永久橋を架ける計画を立てる。翌年、豊平川の水勢に負けない(はず)の鉄の橋を架けたが、この初代鉄橋も11年後に水勢に屈してしまう。
 1924(大正13)年、「今度こそ」と工事に約3年の年月をかけたタイド・アーチ式の、強くそして美しい2代目鉄橋が完成。8月26日の渡橋式には約6万人の市民が集まった。この頃の札幌市の人口が約13万人ということからこの橋への市民の期待や希望を想像できる。この橋は3連のアーチがとても美しく、旭川の旭橋、釧路の旧幣舞橋とともに北海道3大名橋と呼ばれた。橋の中央は札幌電気軌道(現在の札幌市電)も豊平線として橋を渡っていた。この2代目鉄橋は、最初の丸木橋が架けられた1871(明治4)年以来、豊平川の激流に壊されなかった初めての橋となった。
 その2代目鉄橋、名橋豊平橋も架け替えが決定する。ようやく豊平川の激流に負けない橋が完成したにもかかわらずに…(編集後記へ)。
すこやか新生活 -秋の味覚と飲み込みと- 1・2番館 機能訓練指導員 言語聴覚士 浅石 建二朗

食欲の秋

 樹々の葉先も黄色く染まり、視覚的にも秋を感じられる季節となりました。
 私の趣味の一つに家庭菜園があるのですが、今年も良い感じにジャガイモが収穫でき、さっそく肉ジャガにして美味しく頂きました。

味覚と食欲

 近年、高齢者だけではなく、若者の間でも味覚を感じないといった訴えが増えてきています。主な原因としては、
  1. ①偏った食生活による亜鉛不足
  2. ②高齢による味覚細胞の減少
  3. ③風邪やアレルギーによる臭覚の低下
  4. ④薬の副作用や抗がん剤治療の影響によるもの
  5. ⑤味覚障害を引き起こす疾患
があります。
 若者に多いのが①によるもので、コンビニ食や外食による栄養の偏り、飲酒・喫煙・激辛食品による舌の感覚低下が原因となります。
 高齢者に多いのが②と⑤によるもので、慢性的な貧血・糖尿病・腎不全・甲状腺疾患・顔面神経麻痺・脳血管障害・聴神経腫瘍が挙げられます。
 対処法としては、魚介系のカキや海藻・ブロッコリーやゴマといった亜鉛を多く含む食材を摂取し、かつビタミン・ミネラル・タンパク質をバランス良く摂取する事で、亜鉛を効果的に吸収できます。

飲み込み

 近年では、脳血管障害を抜いて、肺炎が日本人の死因の第3位になりました。特に多いのが誤嚥性肺炎であり、食べ物が食道に流れずに気管に入る事で肺炎を引き起こします。
 原因としては、
  1. ①加齢により飲み込みに働く筋力の低下、脳血管障害や神経疾患に伴う神経伝達の低下などによる機能的原因
  2. ②口内炎による痛みや喉に出来る腫瘍によって食べ物が通りにくくなる器質的原因
  3. ③ストレスや神経性胃炎、うつ病等による心理的原因
が挙げられます。
 最近ではテレビでも嚥下障害を取り上げる番組が増えてきました。
 疾患に伴う場合は病院受診とリハビリをする必要がありますが、加齢に伴う筋力低下に関しては対策が可能です。
 嚥下体操と呼ばれる運動で、首を上下左右に5秒ずつ動かし、舌の突出や上下左右に動かす事、さらに、「ぱ」・「た」・「か」・「ら」と発声する事で舌の筋肉を鍛える事が出来ます。
 また、寝ている時の誤嚥も多い為、枕を少し高くして、唾液が喉に引っかからないようにする事も、誤嚥性肺炎の予防に繋がります。
 いつまでも美味しく食べられる喜びを続けて頂ければ幸いです。
編集後記

取り壊しが決まった名橋


2代目豊平橋と札幌電気軌道。
三輪自動車や馬車が通行している。
1953(昭和28)年7月撮影
 2代目鉄橋の設計時、豊平橋の交通量は「1日平均人員6600余、馬車2800台を下らず」程度だった。設計では約11トンの自動車が通るものとして計算していた。
 しかし戦後の経済成長は予想以上に目覚ましく、1962(昭和37)年当時の自動車交通量は日に26000台、20トン以上の車が走る時代になっていた。
 市民から取り壊しを惜しむ声が多く出たが、これでは安全とはいえないと判断したのも致し方ないといえる。
 1965(昭和40)年5月、惜しまれながら解体開始。翌年10月1日3代目鉄橋(現在の豊平橋)竣工。